非リア充とは元々「恋人がいない人」や「人生が充実していない人」のことを意味する言葉でした。
リア充・非リア充という言葉が誕生してから、元号は平成から令和へと変わりました。
そしてコロナウイルスが流行し人々の生活スタイルがガラっと変化していく中で、かつての非リア充の意味は変わりつつあるのではと感じます。
そこで本記事では改めて非リア充の意味を考察し、令和版の非リア充の定義について解説していきます。
みんなが考える非リア充のイメージ

非リア充と聞くとあなたはどんな人を思い浮かべますか?






ぱっと思いつくのはこんな人たちではないでしょうか。
非リア充を一言で説明すると、恋人がおらず他人とのコミュニケーションが苦手な人といえます。
リア充のことはあまり好いていないが心の底では羨ましいと思っている、そんな人が非リア充には多いようです。
コロナ禍で非リア充の生活スタイルがスタンダードに?
しかし、コロナウイルスの流行により状況は一変しました。
他人との接触機会をできる限り減らすために、家の中で一人で過ごすことが国から求められるようになったのです。
まさに非リア充たちがこれまで不通にやっていた生活スタイルを、みんながやる必要がでてきたのです。この記事を執筆している時点(2022年9月)では、多少外出の自由度は増してきたものの相変わらず他人と会ってコミュニケーションをとることは控える方が良いと認識されています。
つまりコロナ禍をきっかけに非リア充的な生活スタイルが日本のスタンダードとなりました。
非リア充たちはこんな風に考えていることでしょう。
- 家にいることが正当化された
- 1人で外出しても周りの目が気にならない
- 人とある程度の距離をとっても何も言われない
これまで人々の生活スタイルとしては、「中よりも外」「一人よりもみんな」で過ごす方が他人に認められやすい生活でした。
例えば会社の上司からこんな風に話題を振られたとします。
休みの日は何してるの?
家でずっとゲームしてます
えー!もったいない!若いんだから彼女とどこか遊びにいけばいいのに
家でゆっくりと一人で過ごす時間が好きな人からしたら本当にいい迷惑ですよね。
非リア充にとってはコロナ禍になってからの生活スタイルの変化はむしろ歓迎できる程、ある意味生きやすい世の中になったのではないでしょうか。
リア充にとってコロナはまさに”逆風”
非リア充にとって生きやすいということは、反対にリア充にとっては生きにくい世の中になったと言えます。
コロナウイルスが流行する前では考えられなかった外出の制限がかけられるようになり、リア充にとっては辛いことしかありません。
- 人との顔を合わせたコミュニケーションができないのは致命傷
- リア充の象徴「外遊び」が禁じられた
- むしろ金銭的には幸せになった?
ですが3つ目の項目にあるように外出頻度が減った分、貯金ができるようになり金銭面では豊かになっている人が増えているようです。
令和版の非リア充とはこんな人


コロナ禍を経てかつてのリア充と非リア充の立場は入れ替わったのではないかと僕は考えます。
どちらかというと内向的な性格であり一人で過ごすのが好きなかつての非リア充は、令和の時代においてはむしろリア充とも言えるでしょう。世間的に求められている外出自粛にもうまく適応できる(というか元々できている)し、一人でも楽しくいるための過ごし方が身についているわけで。
令和版の非リア充はこれまでリア充と呼ばれていた中の次のような人であると定義します。
- 飲み会が好きで仕方ない人
- 家でする趣味がない人
- フェスやライブ参戦が命な人



これらの人は趣味や休日の遊びをもろに奪われてしまった人たちです。
かつてのように自由に遊びを満喫できず、リアルの充実度は下がってしまっているはず…
自粛や行動制限がやがては完全になくなるのでしょうが、いつまた次の感染の波が来るかも分かりません。
全力で趣味を楽しめない人は残念ながら非リア充と言わざるを得ないでしょう。
まとめ
コロナ禍を経て「リア充・非リア充」はかつての意味から変化している最中です。単純に恋人がいるかどうかだけではなく、好きなことや楽しいことをやって人生が充実しているかどうかでリア充か非リア充かは決まります。
「昔はリア充だったけど今は非リア充かもしれない」と感じる人は、自粛&制限の中でどうやれば人生が充実するかをこの機会にぜひ考えてみて下さいね。